材料があればあるだけ良い
過去に囚われず生きていたい
ふと、そんなことをね、思い出しました
ちょっと前までは
嫌だなっていう感情ばかりが先行して
見て見ぬふりをし続けたり、何かを嫌ってみたり
「こんな事があったんだよ!」って共感求めたり
を繰り返していました
その時の嫌悪感や共感だったりを求めてた私を
否定するつもりはなくて
その時の私に言わせてみれば精一杯だったし
そうしなくちゃ繋いでいられないものが
あったのだろうと
そしてそれを肯定するつもりも無くて
でも結局
そこで生きた証が欲しいとか
誰かが褒めてくれるとか
そんな事はそこまで大事じゃなくて
囚われず
と言うのは私なりに肯定も否定も無くて
そんな応えすら出さなくて良いんだってこと
振り返ると人生の通り道に過ぎなくて
ちょっとしたドラマみたいなものが自分的にあって
結果、辛かったなあという事を
今になっても傷背負ってますみたいな顔して
歩くのはなんかブサイクな気がしたんです。
勿論結果で言えば、嫌だから抜け出した
辛かったから壊れたものがあった
苦しかったから癒える道に行った
それはその時のその瞬間の答えでしかない
振り返ってみると、そこにあるものは
今の私を生かす材料。たったそれだけ
いつの間にか私はついた傷は
向き合わなきゃいけない、自分で傷を
癒していかなきゃいけないって
自分で自分に押し付けたりしていて
でもそれってめちゃくちゃ過去にばかり
囚われて、クソ重たい何か引きずって
歩いてるんだよなあ、と。
向き合うってそもそも偉そうな事言ってるけど
本質何だよって感じだし
癒すって、まず何を?って話で
そしてそれらの傷を無くすって意味不明
もし本当に無くせるなら傷みではなく
多分未遂くらいなものだろうよ
傷なんて深く刻まれたもの生まれ変わるか
記憶ぶち消すかしか無くせないと思うのね
あの時あの瞬間痛かった傷みは、生きてく中で
ちゃんと刻まれているはずで無くすとか
癒すとかそれら類の掛け声って傍観者みたいで
私はあまり好きではないのね
だったらボロボロな傷に
包帯巻き付けてカサブタ作って
また剥がれたら絆創膏何重にも貼って
目立つなら絵の具で何色にでも染めて
何度も何度も染めまくればきっと
ただの過去
になっていくんだって思うんです
そしてそれがあるから
人にやさしく在れるんだとも思う
向き合えなくたって、癒せなくたって
別に悪い事じゃない
むしろそれが大体、本当。なはず
向き合うというのは結果本質から
逃れている気がして
そこには、向き合う振りが上手な大人
にしかなっていかない
ちょっとだけつまらない
でもさあ、過去にはできるんだよ
人生の通り道にする事はできる
そして通り道にできた時生まれてくるのは
感謝だったり、優しさだったり愛だったりする
そんな風に材料をコツコツ貯めながら
他の誰でもない私になれていくのって
それって楽しいかも
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