そう、思う人



これまでの人生で"大人"と呼ばれる人と 

私は同世代の人達より少し早く

そして多く接してきたと思う 


 10代後半の、子供の先大人の手前の

私からしたら 、関わる全ての人達が
私にとっては"大人"で

距離で言えば遥遠くの人達に感じていた 


 だけど、今あの頃の私に比べれば

少し"大人"と呼ばれる年齢になってきて

思うことは 、あの頃に遥遠くに
感じていた人達は全く遠くなくて

目の前もしくは隣にいるくらいの

人達だったんだな、と



 人との会話で大人とか子供って言葉を使うけど 

いつもその大人と子供の定義はなくて

その場においての適切な価値観で

使ってしまっている 

多分、なんだそれって思いながら 



 「大人なんだから」
「子供じゃないんだから」

 そんな言葉は根拠が無くて好まないし

 一体いつから大人でいつから子供じゃない

なんて境目はぼやけてて 



 一般的には成人したら大人扱いだし
未成年のうちは子供扱いだし

 成人しても親からしたら子供はいつまでも子供だし 

未成年でも大人に感じる人達は沢山居るし 

 そもそも、その"一般的"ってなんだよ
っていつも思うし

 世間の一般的と私の一般的が一致しなければ 

まるで非常識人扱いを受けるし 


 だから、それを隠して笑ってられる人は
大人なのか

ってそれも違うと思うし 

違うというかそんなんが大人なら 

大人になるってなんか悲しいことに思えてくる

 感情どこいった?って 


人間って生き物の中でも最も感情を持って

生きれる生き物なのに

それをそんなに隠して

何を恥ずかしがってるんだいって





 私が人生の中でこういう人を"大人"と言うんだな 

と感じた人は一人しかいなくて 

出会ったのは18歳で

それから歳を重ねて今思い返してみても

やっぱりその人だけは遥遠くにいる

 "大人"に感じる人なんだよね 


 どこが、どう
とか言葉にしては説明出来ないんだけど

 ただまさに、ぼやけているはずの境目の

"大人"というものを

明確にされたように"感じる"人

という事くらいしか説明はつかない 


 そしてそんな人に

私も年齢を重ねれば

その人の年齢に追いつけば

私もそういう"大人"になっていける

と思っていたけ

全然そんなシステムではないね



私がその人を大人と感じるのはきっと

その人と接する上で私が一欠片も持っていない

性格や思考や知性や価値観を持っているから

そう感じるだけなのかもしれない 

私以外の人からしたら、

その人は大人じゃない場合もある



 


結局私が美穂って根拠も無いし 

親が美穂って名前を付けてくれて

そう呼ぶから美穂なだけで 

 

誰かが大人とその人を呼んだら

誰かからしたらその人は大人訳で

たとえ成人していようと、

誰かが私を子供だと言うなら

きっと私は子供なんだろうし 


なんの根拠も無いものって

思い込みとそれぞれの見方でしかないのかもね 


わからんけど



そしてそんなことめちゃくちゃ

どーでもいいってこと。



世間からすれば 

未成年=子供
成人者=大人 

でとっくに形付いてるわけだし 

そういう形がはるか昔からあるわけだし 



 でも、ふとこんなことを考え出した時に

思い出した記憶の中の「その人」は

私にとっては根拠を感じれる

唯一の"大人”な人なんだなって

そんな名前をつける人なんだな

って思い出したんです



何者かわからなかったその人が

少しわかった気がします


大人だから良いわけでも

子供だからダメなわけでもなく

ぼやけた境目に焦点が合った

唯一のそう、思う人の話です


雑記



 

TATEUCHI MIHO

舘内 美穂 女優/ 脚本家/ m sel.プロデュース主宰

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